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おかげさまでここまでホームページを続けてくることができました。そこでよしておけばいいのに、警戒心と自制心のなさから、少しばかり自分の考えることを記してみたい、というとても危険な誘惑に負けてしまいました。とは言っても、政治や思想がらみののことはきつく御法度ですから、当たり障りのないことばかりですけれども、よろしかったらお目を拝借・・・

男の墓銘  「ザ・ダイバー」

男の墓銘

平成12年10月29日、日曜日、ちょうど観艦式の当日、三浦半島の海を望む高台で一人の男の納骨式が行われた。

飽和潜水を海上自衛隊に導入するに当たって故佐藤寛3等海佐の果たした役割はいくら強調しても強調しすぎることはない。また、私自身が見聞しているわけではないが、海上自衛隊のヘルメット潜水器の開発、あるいは機雷処分に用いる半閉鎖式潜水呼吸器の開発においても、プロジェクトの中心となってダイバーサイドからの意見を汲み上げ、問題点の解決を具体的に図(はか)る等、貴重な役割を果たしている。

氏の階級は3等海佐、昔風に言えば海軍少佐で将校に相当するが、いわゆるエリートではない。一番下からのたたき上げである。職種は潜水。一癖も二癖もある海上自衛隊の潜水員を束ねて行くには、階級だけでは到底不可能である。

氏の姿を最初に見かけたのは二十有余年前、横須賀の久里浜にある海上自衛隊潜水医学実験隊の支援科事務室である。支援科長としての氏は圧倒的な存在感を持ってそこに君臨していた。と言っても、決して威張り散らすわけではない。それまでの長い実績と潜水員としての能力に裏打ちされた威厳が自然ににじみ出るのである。しかし寡黙というわけではない。どちらかと言えばにぎやかな方で、昼休みのトランプなどでは饒舌である。ところが、ひとたび業務につくや、持って生まれたとしか言いようのない統率力が俄然冴えてくる。うろたえる医官を尻目に人の命を助けたこともある。

氏と一緒に仕事をするのは楽しかった。私にとっては見るもの聞くもの、全てが目新しく、また氏から見れば赤子同然の私を氏はなぜか可愛がってくれた。あるとき、おまえの給料は安いんだから、とメシをおごって貰ったこともある。

昭和58年9月20日、氏は岡山県玉野の三井造船で建造中の潜水艦救難母艦「ちよだ」の第一期艤装員として現地に赴き、複雑を極める飽和潜水装置を実用化すべく、率先して職務に邁進した。私は一年後の昭和59年9月20日に同じく艤装員に発令され、また一緒に仕事をすることが出来ると喜んだのも束の間、ここで私はそれまでの厚誼を無にするとんでもない失敗をしでかしてしまった。

佐藤氏はもともと肝機能が悪かったのだが、ある時、上司から私に、氏の健康状態では船の完成引き渡しのあと引き続いて乗組員として艦上で勤務できるか、と問われた。そこで私は浅はかにも100%の保証は出来ない、と申し上げたところ、それではこまる、ということで、艦船勤務不適の診断書を書いてしまったのである。その結果、昭和60年3月27日、船の竣工引き渡しのあと、氏は陸行(りっこう:陸上をいくこと。海上自衛隊用語)で一人横須賀へ帰っていくこととなった。自らが手塩に掛けた船に乗ることもなく、船の出港を一人で見送らなければならなかった氏の心中や察するにあまりある。

それに引き替え、こちらの薄っぺらさ!本人と充分話し合ったつもりで、言外の情を汲むことの出来なかった鈍感さ。100%大丈夫だと言い切れなかった度量のなさ。今に至るも、悔悟の念にとらわれる。

その後、氏は飽和潜水の後方支援部隊としての性格も有する潜水医学実験隊の運用科長を勤めたが、これは本来望んだ職ではなかったはずである。あくまで、それまで実績のなかった飽和潜水能力をつけるべく、海の上で勤務したかったはずだ。しかし、それにも拘わらず、氏は運用科長として飽和潜水の実用化に伴って次から次へと湧いてくる問題の解決に努力していった。頭が下がる。

氏と私のあいだは、以上の経緯もあって、顔を合わせることはあっても個人的には一言も口をきかない関係が最後までつづいた。

氏は平成元年6月9日、定年退職した。体が弱っているという噂を聞くようになった。そして平成12年9月14日逝去。享年66才。あれだけ献身した海上自衛隊から充分には報われていなかった、と感じておられたのだろうか、海上自衛隊には知らせずに、身内だけで葬儀を行ったという。

しかし、それではいくら何でも、と、もぐりの連中が集まり、納骨の日に合わせてあらためて墓苑に参集することになった。有り難いことに、私にも声を掛けてくれた。出席を躊躇する私に、「喧嘩するってことは、それだけ縁が深かったってことよ」と言ってくれる潜水衛生員がおり、出かけることにした。

折からの観艦式で、現役の連中はほとんど集まらず、来たのは年老いた潜水員が主だった。長方形の墓碑には、ただ一字「海」とだけ刻まれていた。

2001.6.5

「ザ・ダイバー」

映画「ザ・ダイバー」を観た。これはアメリカ海軍の誇り高きヘルメットダイバーの物語だ。それだけでも、私はこの映画を観なければならない。そこで、まことに勝手ながら、最初に当方の入れ込みの個人的事情を説明することにしよう。

私は1981年(昭和56年)米海軍潜水サルベージ訓練センターで潜水医官課程の訓練を受けた。医官課程とは言いながら完全に体育会系で、いわゆるマッチョの世界そのもの。泳ぎの下手な私にはハードな内容だったが、気分は爽快、今から思えばもっとも充実した時間を過ごしたと言える。

海軍の「正統派潜水」はヘルメット潜水だ。スクーバ潜水はあくまで初等扱い。それだけに、ダイバーたちのヘルメットに対する愛着は深い。ヘルメット潜水器の名称はMkV(マーク・ファイブ)。たしかに、機能的にはモダンな潜水器の方がはるかに軽量で使いやすく、機動性も比較にならないが、海軍のダイバースピリットはマーク・ファイブと格闘することによって初めて形成されるのだ、という強い信念がある。

とは言っても、テクノロジーの進歩には抗(あらが)い難く、私が訓練を受けた当時は米海軍でもクラシックなヘルメット潜水から、モダンな潜水への移行期であった。実際、2年後にはマーク・ファイブも海軍から姿を消す運命にあったのである。と言うことは、以下余分のことながら、私はマーク・ファイブで潜った最後のしかもとびきり下手くそな海上自衛官ということになる。

蛇足はともかく、教官というのは得てして変革を好まぬものである。米海軍の教官も例外ではない。

我々医官のクラスは8名ほどで一つの分隊を組み、訓練を受ける。指導教官は今も名前を覚えているウエルシュ准尉。米海軍では准尉にもいくつか階級があるようだが、その中でもとにかく一番上。准尉というのは少尉以上の士官とは異なり、士官待遇だが下士官の一番上という立場にある。ということはつまり最古参ということだ。対する我々はほぼ全員が新参の大尉クラス(医官の階級は米海軍では大尉から、海上自衛隊では2等海尉からはじまる)。

我々が整列して待ちかまえているところへ、ウエルシュ准尉は悠然とひげを撫でながら姿を現す。こちらから声を揃えて「グッドモーニング、ミスターウエルシュ」と挨拶をすると「ハロードック(ドックは医官のこと)。元気か」というふうに答えるところから彼との一日は始まる。

ある時、マーク・ファイブと黄色の色をした新しいMkXII(マーク・トゥエルブ、以下マーク12)潜水器の両方を並べて講義が始まったところ、彼曰く「これがマークファイブ。こっちの新しいのはマーク12と呼ぶのもいるが、俺たちは黄色い奴(yellow one)と言うんだ」と冗談めかして言う。そして、講義が一段落すると、やおらマーク・ファイブを指して「これは何という潜水器だ」と質問をする。「マーク・ファイブ、サー」と答えると、ウン、よろしい、とうなずく。ついでマーク12を指しながら、「これは何という?」と訊く。こちらは、単純な質問をしやがるな、と思いながら「マーク12、サー」と答えると、突然烈火のごとく怒りだし、「俺はそんな潜水器は知らん!誰がそんなこと教えたんだ!」と怒鳴り散らすとともに、答えた仲間は腕立て伏せ10回の懲罰をくらう。次々と指名されるが、だれも回答できずに、懲罰を食らっていく。その内に、おそらく今から思えば誘導質問があったのだろう、誰かが「黄色い奴?」と小声で恐る恐る答えてみると、「そうだ!海軍では黄色い奴と呼ぶ。わかったか、ドック」と、得意満面で反り返る。

翌朝は、いきなり同じ質問で始まる。今度は「これは?」「マークファイブ、サー」「こいつは?」「イエローワン、サー」と順調に進む。相手は「そうだ、それでこそ海軍ダイバーだ(Now, you are the navy divers, doc.)」と答える。(念のために言っておくと、以上のことは決していちゃもんつけ、あるいはいじめのような印象は全くなく、いわば全て承知の上での遊び心だったような気がする。また、我々はこういうときは相手の階級が下にも拘わらず必ず「サー」を付けていたが、これは最古参のウエルシュ准尉に対する一つの敬意の表し方だったのだろう)

ことほど左様に独特の雰囲気を漂わせていたマーク・ファイブだが、たしかにこいつはタフでハードな潜水器だ。泥の海で這いずり回っていると、クタクタになり、梯子の一段分すら脚を挙げることが出来なくなる。炭酸ガス中毒で意識が朦朧(もうろう)とすることもある。

と言うわけで、この映画のもう一人の主人公は海軍のマーク・ファイブ潜水器と言えないこともない。そこで、映画を観る人のために簡単な補足をしておこう。

最後の場面で義足をつけた主人公がマーク・ファイブを着けて歩く場面があるが、これには本当に信じられない気がする。マーク・ファイブには空気潜水用とヘリウム酸素潜水用の二つがあり、この場面で用いられているのはヘリウム酸素用なのだ。ヘリウム酸素潜水では貴重なヘリウムの消費を少しでも少なくするために再循環装置を採用している。映画でヘルメットの後ろに何やら器具を取り付けているが、それは再循環のための炭酸ガス吸収剤の詰まった容器を装着している場面なのだ。

したがって、ヘリウム酸素潜水用の方が空気用よりもはるかに重い。映画でも130kg以上、と言っていたが、この重さは半端ではない。だから、ヘリウム潜水用のヘルメットの頂部にはフックがあってワイヤで吊すことが出来るようになっている。普通は、潜水直前まではヘルメットを吊り下げてダイバーにかかる荷重を少なくするようにしている。ワイヤーを外すときは、「重さがかかるぞ(Weight is coming on!)」というように、声を掛けてから外すが、外した瞬間の重さは強烈。一刻も早く海の中に入りたくなる。

以上の知識があれば、主人公をクビにするかどうかの聴聞会で、冷淡なハンクス大佐が要求した基準というのがいかに過酷なものであるか、感覚として理解できるだろう。

ついでに、テクニカルな情報をもう一つ。映画の最初の方で、サンデー曹長が緊急に潜水器を取り付けて海に飛び込む場面が出てくるが、その器具がジャック・ブラウン軽便潜水呼吸器。日本では滅多にお目にかかれない器具なので、特に記しておく。

と、ここまで長々と書いてきて、肝腎の映画そのものについては何も記していないのに気がついたが、よく考えれば(よくでもないか)、その映画をどう思うか、については、個人が映画を観るに如(し)くはない、という単純なことを挙げるに止めておこう。

最後に、この映画の題名は「ザ・ダイバー」とされているが、原題は「Men of Honor(誇り高き男たち)」になっていることにも触れておきたい。主人公は言う。海軍には伝統がある。よい伝統も悪い伝統も。それに何より名誉がある。

2001.6.11