潜水医学に関する私的ホームページへのメールから垣間見えた減圧障害に対する本邦の医療水準
日本高気圧環境医学会雑誌.2003;38(1):23-25.
【要約】
私的に開設した潜水医学に関するホームページに寄せられた減圧に関連するメール45通のうち、症状の問い合わせは30通あった。減圧障害であるか否かの観点からみたメールの分類は、減圧障害である可能性が高いもの6通、ないもの12通、判断を保留するもの5通、判断を要しないもの7通であった。減圧障害である可能性が高いもの6通のうち、3通の症例は基幹病院を受診したものの再圧治療を施されないなど、適切な対応をなされていなかった。本邦における減圧障害に対する医療水準は満足すべき状態からほど遠いと言わざるを得ない。
【緒言】
近年、レジャーないしスポーツ潜水が盛んになるにつれ、減圧症や空気塞栓症などいわゆる減圧障害に罹患するダイバーも増加している可能性がある。
しかるに、減圧障害に関する教育は、一般の医学教育の中で系統的に取り扱われることは皆無とまでは言わなくとも極めて限定されているのが実状である。したがって、減圧障害への医学的対応が必ずしも十全ではない可能性が多分にある。
そこでこの程、別稿1)に記したごとく、潜水医学に関する私的ホームページを開設したのを機に、ホームページに送られてきた減圧に関するメールの一部を紹介することによって、本邦における減圧障害に対する医療レベルの一端をうかがうことにしたい。減圧障害など減圧に関連した事象は潜水医学の主要かつ特異的分野であることから、そのことはわが国における潜水医学全般のレベルをある程度反映していることにもなる。
なお、以下の記述はメールの発信者と筆者との交信に基づくものであり、関与した医療機関へ問い合わせるなど、内容が事実であるか否かの確認作業は行っていない。
【メールの概要】
減圧に関連して送られてきたメールは総数45通あり、自身あるいは知り合いの症状に関する問い合わせがちょうど2/3の30通、残りの15通は減圧症の発症機序や分類、減圧表の信頼性、気泡の動態、酸素の役割など、知識の増進を求めるものであった。
症状に関するメール30通を、減圧障害(ここでは減圧症、空気塞栓症および肺圧外傷)であるか否かの観点からみると以下のようになる。すなわち、減圧障害の可能性が高いもの6通、減圧障害ではないと思われるもの12通、判断を保留するもの5通、判断を要しないもの7通であった。
減圧障害の可能性の高いもの6例の内訳は次のとおりである。それほど問題がないと思われた例は、当ホームページを閲覧し、自身で肺圧外傷ではないかと判断し同意を求めてきたもの1例(後に病院を受診)、浮上後に皮膚の痒みあるいは発疹を呈したもの2例があり、いずれも減圧症である可能性が高いと返信したが、肺圧外傷の例を除いてその後の経過は不明である。そのうち皮膚の発疹を訴えた1例は皮膚科医院を受診し、アレルギー性の病変ではないかと診断されている。残りの3例は減圧症と判断したが適切な治療がなされなかった例で、次項で詳述する。
減圧障害ではない例は、浮上後にめまい、皮膚の発疹ないし腫脹、足のひきつり、趾や大腿の痛み、頭痛、だるさ、などを訴えたもので、症状、潜水プロファイル、発症までの時間、持病の有無などから、減圧障害ではないと判断した。それらのうち、特定可能な原因ないし機序としては、ウェットスーツによるかぶれ、水虫、痛風などを挙げることができた。
判断を保留した例は、浮上後の関節痛、大腿のむくみ、めまい、大胸筋部の痛みなどであった。
判断を要しない例は、治療中及び治療後の本人あるいは知り合いの病態について治療方法の適否も含めた問い合わせ、後遺症の軽減方法、減圧停止を行わなかったが問題がないか、などであった。
【不適切な対応と思われた症例】
以下の症例で「」内の記述はメールに記載されていた言葉である。
〔症例1〕
症例は31才男性。2000年10月、「減圧表の限界を超えて」潜水をしたところ(潜水プロファイルは不明)、翌日から手足のしびれと顔面の違和感を自覚し、メールを送信。減圧症の可能性はある、と答え、A病院を紹介したところ、A病院で外来受診の予約をしてきた旨の返信があった。その後の経過は不明である。
〔症例2〕
症例は32才男性。2000年9月から頻繁に潜水し、その一部は減圧コンピュータの示す許容限界を超えるものであった。翌週また潜ったところ、左肘の痛みと股の部分の発赤と痒みが出現するも、翌日には消失した。しかし、その翌週からは潜った後に必ず軽度の痛みと痒みが出現、以前から所持していたステロイドを塗布していたが消失することはなかった。このような状況下でも潜水を続けていたが、10月末の潜水後に左肘の「切り離したい位の痛み」が出現、DAN (Divers Alert Network) Japanからの紹介を受けて翌日A病院を受診した。左肘関節が腫脹しているところから担当の医師に整形外科を受診するように指示され、整形外科で肘関節からの穿刺排液を施行されるとともに、「痛み止めと抗生物質」の処方を受けた。
2週間経過するも痛みのために左肘を机につけることが出来ないほどの症状が続くために、11月中旬、当ホームページ宛てメールを送信した。減圧症の可能性か高いと返信するとともに、海上自衛隊潜水医学実験隊を受診し再圧治療を受けるように勧めたところ、同隊にて再圧治療を受け症状は著明に軽減した2)。
〔症例3〕
症例は25才女性。2001年1月、グアムにて39.5m潜り(滞底時間は不明)、深度28mで左親指にしびれを感じるも、2段階の安全停止を行って浮上し異常を自覚しなかった。その日はさらに2本、翌日3本潜って、その次の日に航空機を利用して帰国した。帰国当日の朝、再度左親指のしびれを自覚、飛行中に「左腕がおもーく」なってきた。それ以来一週間、「左腕が重く、左半身の首、肩、背中がすこーししびれているような感じ」が続くために、当ホームページ宛てにメールを送信した。減圧症の可能性が高く再圧治療を受けることを勧めるも、そのまま放置していた。その後症状が若干軽快したので、2月の三連休に大島で潜ったところ、同じ様な症状が再び出現した。A病院を受診したところ、担当医から「判断基準がまだないので、とりあえず再圧治療、という方法もあるけれど、そうすると必要ない人まですることになるから自分はあまり勧めていない。症状からして、違うようだし、たとえそうでも軽いから、ほっておけば治るでしょう」と言われそのまま帰宅した。その後は、そのまま様子を見たとのことである。
【考察】
ここに呈示した情報はインターネット本来の特徴としての匿名性もあり、その内容が事実である保証は全くないが、不特定多数の閲覧者から送られてきた情報にはある程度の信頼性があり事実の一端を示しているものと見なしてもよいだろう。
そうすると、まず第1に印象づけられるのは、上に記した3例の不適切な対応例である。基本的にできるだけ速やかに対応すべき減圧症が疑われる例が予約診療に回されるなど、信じられない気がする(症例1)。再圧治療を行うかどうかは置くとしても、減圧表の限界を超えて潜水していると述べているので、少なくとも診察は直ちに行うべきであろう。症例2は別の医療施設で再圧治療を受け著明に軽快していることから、誤診であることは明らかである。症例3は発症経過を見れば飛行と症状軽快後の潜水により症状が悪化していることから減圧症である可能性は極めて高い。
これら3例になぜ迅速な診察や再圧治療を実施しなかったのか理解に苦しむが、診断が確定されなくとも減圧症の疑いが強いときに速やかに再圧治療を行うことは、全世界にわたって合意された基本的な治療指針である。そうすると、これらの例は患者自らが減圧障害を疑い、専門治療を受けるべく受診したにも拘わらず適切な対応がなされなかった症例で、日本の潜水医学界全体として厳粛に受け止めておかなければならない。
なお、皮膚科医院を受診した例で減圧症の可能性が高い例もあったが、これは前3例とは性質が異なる。理想を言えば一般医家も減圧症の診断ができるに越したことはないが、日常診療においてそこまで求めるのは酷なのではなかろうか。
一方、減圧障害を疑ってメールを送ってきたものの減圧障害ではない、と判断した例が最も多い12通あったことは、多くのダイバーが減圧に起因する疾病について気を使っていることの反映かも知れないが、診療者側にとっても教訓が得られる。
というのは、減圧症は他覚所見を欠き痛みや痒みなどの自覚症状のみを訴える例が多くを占めることから、詐病としての減圧症も存在するほど3)診断が必ずしも容易ではないからだ。ときに、診断的な意味を兼ねて再圧治療を施すという考えも見受けられるが、このように減圧障害ではない訴えが多いことも知っておいた方がよい。不必要な再圧治療を行わないことは医療費の高騰を防ぐ意味からも重要なことである。
最後に、平凡なことではあるが、減圧障害など潜水に関連する医療水準を向上させるには、機材や施設の整備に劣らず、治療に当たる側の知識を充実させることが肝要であることを強調しておきたい。
【結語】
私的に開設した潜水医学に関するホームページに対して送られてきたメールから、本邦における減圧障害に関連する医療水準が満足できる状態ではないことを示した。
〔引用文献〕
1. 池田知純:潜水医学に関する私的ホームページ開設の試み −1999年2月〜2001年12月の反響−. 日本高気圧環境医学会雑誌 2003;38(1):9-14.
2.
緒方衝,磯井直明,山内宏一,山口勉,和田孝次郎,西見幸秀,北村勉:症例報告:再圧治療にて治癒した慢性期減圧障害患者3例.日本高気圧環境医学会雑誌.36:133,2001.
3. Murphy BP, Davis JC, Henderson DL: Factitious decompression
sickness.Aviat Space Environ Med. 55:396-7,1984.
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