浮上後に異常を認めたら −減圧障害への初期対応のための基礎知識

日本高気圧環境医学会関東地方会誌 2003; vol.2: pp.32-36.

【緒言】

浮上後ないし浮上中に異常を来す代表的な疾患として、いわゆる減圧障害(ここでは空気塞栓症と減圧症を指すことにする)が挙げられるが、心筋梗塞のように減圧に直接は関係しないという意味で一般的な疾患も多く見られ、年輩者など健康状態が必ずしも良好とは言えない人の間では一般的な疾患の方がむしろ大多数を占めている。
そこで、本稿においては、どのような点に着目して減圧障害に罹患したと判断すべきか、減圧障害などによって浮上後に異常を認めたらどのように対処すべきか、等について指導的立場のダイバーが考える際に参考になると思われる事項のうち、基礎的な側面に重点をおいて記すことにする。なお、紙面のスペース上、減圧障害全般について記述することは能わなかったので、それについては別稿1,2)を参照されたい。

【減圧障害】

〔用語の背景と問題点〕

 最初に減圧障害(decompression illness)という新しい用語が出現した背景を記しておこう3)。その主な理由は、減圧に起因する代表的な疾患である空気塞栓症と減圧症を鑑別して診断することが必ずしも容易ではなく、強いて鑑別しようとすると人為的になるおそれがあるので、両者をまとめて減圧障害として捉えようとしたところにある。また、治療の面から見ても、再圧治療という基本的には同じ治療法が両者にとられることがそのような取り組みを可能にしている。
しかしながら、空気塞栓症と減圧症は後述するように発症機序(メカニズム)が完全に異なるために、その概念は残しておいた方が有用であり望ましい。例えば、空気塞栓症に罹患したのであれば、そのダイバーがパニックに陥りやすい傾向にあったり、呼吸方法に問題があることが考えられ、それに即した対応ないし指導を今後の潜水にとることができる。減圧障害に罹患した、との情報のみからは、空気塞栓症か減圧症に罹患したのか判断できない。
なお、減圧症はdecompression sicknessと言われるが、減圧障害に用いられるillnessと減圧症のsicknessの間に英語上の差異はほとんどないので、decompression sicknessdecompression illnessを異なる病態ないし意味を表す用語として用いるのは非常に人為的で不自然な用法だと筆者は考える。また、減圧障害には肺や副鼻腔などの圧外傷、さらには減圧に伴うめまいなどをも含める考え方もあることを付記しておく。

〔空気塞栓症〕

 潜水における空気塞栓症は動脈ガス塞栓症とも言われるが、レジャー潜水では塞栓の起因となる呼吸ガスがほとんどの場合空気であるので、本稿では空気塞栓症という言葉を用いることにする。
 典型的な空気塞栓症はパニック等によって急速浮上したために、肺内から空気がスムースに呼出されず肺が過膨張状態となり、行き場を失った空気が肺胞から肺毛細血管内へ進入し、それが脳に至って発症する、とされる4)。したがって、肺過膨張症候群として知られる肺圧外傷の徴候や皮下気腫などの病変を合併することが多い。
しかしながら、空気塞栓症全体で見ると、肺過膨張に伴う明らかな病変を示さない病態も少なくなく、そのような例が過半数に及ぶとする報告もある。また、パニックなどを起こさず正常な浮上後に空気塞栓症に罹患する例も多い。
 なお、過膨張による肺の障害を肺破裂と称することがよくあるが、破裂という言葉から想像しやすい肺胞が裂けるような障害よりも、肺胞から肺胞を取り囲む肺間質へ漏気して肺間質気腫を呈し、そこから肺過膨張症候群として知られる種々の病変を来すことが多い。また、気管支の損傷を示唆する症例もある5)。したがって、肺破裂よりも気道全般の障害という意味で、肺圧外傷の方が実態により相応しい呼称であろう。
 空気塞栓症によく見られる病像は浮上直後の意識障害ないし意識消失であるが、塞栓という血流を遮断して発症する機序から類推できるように、特定の臓器のみが冒されるわけではなく、非特異的な症状を呈する可能性もあることに留意しておかなくてはならない。米海軍では減圧症に罹患する可能性の少ない潜水の後に生じた異常は空気塞栓症として取り扱う傾向にある。肺の過膨張に起因する皮下気腫などの病変があれば、空気塞栓症に罹患している可能性が高くなる。高度の皮下気腫は気腫のために顔面が浮腫状になるが、皮下組織を空気が移動することによって生じるちょうど新雪を握ったときに手に感じる感触、すなわち握雪感を当該の部位を圧迫して得られれば、診断はより確実になる。軽微な例では、その部位に聴診器をあてて圧迫するとマジックテープを引き剥がすような音を聞き取ることができる。意識して診察すれば意外に多く認められる。空気塞栓症によく見られる特徴的な臨床象は病態が大きく変化することだ。意識が一時的に回復するなど、病態が改善することも少なくない。これは、減圧症の病像が悪化するにせよ改善するにせよ、比較的にゆっくりと一方向性に進むのと大きく異なる。しかし、症状が一過性によくなるために空気塞栓症の治療が却って遅れることがある。注意しておきたい。
 また、空気塞栓症の原因となる肺圧外傷は意外に浅い深度の潜水で発生し得ることも知っておいた方がよい。筆者の経験では水深1.8mのプールで潜水中に明らかな縦隔と皮下の気腫を生じたことがある1)。浅いからと言って、決して油断は出来ない。
 治療の基本は減圧症と同じく再圧治療である。補液など補助療法を含めた治療の詳細は別稿1,6)を参照されたい。酸素の使用については最後にまとめて記す。なお、以前に血中の気泡が頭に行かないように頭を下げる体位を推奨したこともあったが、小さな気泡が速い血流の中で重力の影響を受けて移動することは考えにくく、むしろ脳圧を亢進させることにもなりかねず、推奨できない。普通の体位でよかろう。

〔減圧症〕

 周知のように、減圧症は潜水という高圧曝露下で過剰に溶け込んだ窒素など生理的不活性ガスが浮上に伴って過飽和状態になったために気泡化し、その結果惹き起こされる疾病である。そして、気泡化はビールの栓を抜いたときの反応と同じだ、と説明されることが多い。しかしながら、これはかなり乱暴な説明で、人の体で気泡が生じるのに要する過飽和圧力が0.5気圧前後であるのに対し、純度の程度にもよるが純水中で気泡が発生するのに必要な過飽和圧力が数百気圧にも昇ることからも、その一端は容易に推し量られよう2)
また、気泡がどのようにして減圧症の発症に関与しているのか、についてもはっきりしたことは未だに解明されていない。そもそも、空気塞栓症と同じように気泡が毛細血管に詰まって症状を起こす例も無いわけではないが、大多数のマイルドな減圧症は筋肉や関節部などの末梢組織において発症しており、血流中で検知される気泡は疾病の原因と言うよりもむしろ随伴して出現している現象に過ぎないことが多い。サイレントバブルという言葉で知られているように、気泡が出現したからといって減圧症に罹患するものではなく、また逆に減圧症の症状を呈しながら気泡を認めない例があることも、これから理解できるであろう。さらに、気泡化には過飽和圧力のみでなく生体の様々な因子が関与していると思われ、個人差はもとより、同じ人でも条件によって気泡の出現に差が生じる。また、気泡が出現したとしてもそこから減圧症の発症の間にも様々な要因が絡んでいる。要するに、圧曝露(潜水プロファイル)、過飽和の程度、気泡の出現、減圧症の発症の四者を一つの数学的な関係として把握することは容易ではないのである。逆に言えば、この困難さが認識されてきたのが最近の傾向と言える2,7)
このようなところから、減圧症の本質から見れば当然すぎることに過ぎないかもしれないが、現在では減圧症の発症をあらためて確率の問題として捉えるようになってきている。現に、7人のグループで減圧コンピュータの許容範囲内で潜ったにも拘わらず、一人だけ重症型のチョークスといわれる肺減圧症に罹患した例もある。充分注意しておきたい。
次に減圧症の臨床像について簡単にコメントしておく。我が国では減圧症を四肢の痛みや発赤あるいは痒み等を訴える軽症のT型とそれ以外のU型に分類することが大勢を占めているが、現在ではこの分類は国際的には米海軍などで使われているだけで、欧州などではそれに捉われず臨床像に主眼をおいた分類法を採用している3)。その主な理由は、T型とU型に明快に分類できない症例が多いことによる。もっとも、それに対する批判的な意見も発表されており、欧州の方法の方が合理的だと断定するものではないが、海外リゾートなどでまごつかないためにこのことを知っておいてもよいだろう。
診断についてみれば、臨床像からのみ減圧症を診断することは容易ではない。と言うのは、減圧症の本態は全身どこにでも発生し得る気泡が関与するものであるために一つの症候群と言ってもよく、意外に変異に富む病像を呈するからである。そのようなところから、的確な診断を下すのに重要な役割を果たすのは、今なおある意味で単純な浮上から発症までの時間である。ごく大雑把な数字として米海軍潜水教範に記されている値が有用である。具体的に記すと、30分以内に発症する例が50%60分以内が85%3時間以内が95%6時間以上経過して発症するのが1%という数字が挙げられている。もっとも、この値は潜水プロファイルや減圧負荷によって大きく異なって来る。総じて減圧負荷が大きい場合、言い換えれば規定の減圧表に示す限界を超えていわゆる無謀な潜水を行った場合には発症までの時間が短くなる。また、発症までの時間が長い例は飽和潜水など長時間に及ぶ潜水のあとによく見られる。レジャー潜水では発症時間に影響を及ぼすほど長時間にわたって潜ることはほとんど考えられないが、潜水後の飛行による低圧曝露は、大気圧状態で飽和した状態から減圧されたと考えてもよいので飽和潜水における発症と同じことになる。低圧曝露による減圧症では時間がかなり経過した後に発症する例が多いのは、このことによって説明できる。このように浮上から発症までの時間は診断の上からは重要な情報であるが、意識して問いかけないと欠落することが意外に多い。
治療の基本は空気塞栓症と同じく再圧治療であるが、その詳細は別稿1,6)を参照されたい。酸素の使用については最後にまとめて記す。

【その他の疾患】

 浮上後に異常を呈する疾患として無視できないのが、循環器疾患をはじめとする一般疾患である。とくに年輩者や循環器疾患の既往を有する人の間では大きな問題となっている8)。個別の疾患や病像としては、心筋梗塞、不整脈、脳血管障害、低血糖等が挙げられる。しかしながら、器具がほとんど備わっていない潜水の現場でこれらの疾病を診断するのは医療関係者でも容易ではないので、ここでは個別の病態については触れないでおく。
 ただし、浮上後の対応については減圧障害に対するのと共通する点があるので、次を参考にされたい。

【異常を認めた際の対応 主に酸素の呼吸について】

 浮上後に異常を来した場合、もし蘇生が必要であれば、減圧障害であろうとなかろうとまず蘇生術を実施しなければならない。そして、当該のダイバー(患者)を適切な医療施設まで搬送する。症状が重篤でない場合も、海水を誤飲したりしている可能性があるので、医療機関を受診した方が賢明であろう。注意しておきたいのは、異常が減圧障害によって生じているにも拘わらず、溺水など他の一般的な疾病によって隠されている可能性があることだ。減圧障害には再圧治療が著効する、逆に言えば他の治療法は効果が少ないので、その場合はためらわず再圧治療が可能な病院で治療を受けるべきである。
 しかしながら、これは医療サイドの課題であって、現場のダイバー等にとってより切実な問題は別の所にある。というのは、潜水は医療施設から遠く離れたところで実施されることが多く、どうしても現場での救急が重要になってくるからである。その中で大きな問題とすべきは酸素投与ないし酸素呼吸である。酸素を呼吸することは一般的な救急効果に加えて、減圧障害の軽減にも大きな効果がある。より具体的には、酸素を呼吸することによって生体内外の窒素分圧の差を大きくなり、生体からの窒素の排出が促進されるとともに、気泡が生体内に存在する場合、気泡の膜を隔てた内外の窒素分圧の差が大きくなるので、気泡も速やかに消失することになる(その詳細は別稿1)を参照されたい)したがって、減圧障害を発症した現場で直ちに酸素を呼吸することには救命も含めた大きな意義がある。
 ところが、わが国では酸素は医薬品と見なされ、厳密には医師のみあるいは医師の監督下でのみしか酸素を使用できないことになっている9)。そうすると、沖合で減圧障害に罹患し現場で迅速に酸素を投与すると、救急救命効果が明らかであるにも拘わらず違法行為とみなされてしまう。そのようなところからか、DAN Japanで実施されているダイバーのための酸素講習では、本人が酸素を呼吸するのを承諾した場合のみ酸素を呼吸させる、という前提条件での講習となっている(米国ではこのような条件はない8))このことはもっと露骨に言えば、生命の危機が差し迫っていない意識の清明なダイバーは酸素を呼吸することが出来ても、生命が危機に瀕している意識のないダイバーは酸素を呼吸できない、ということを意味するわけで、品の悪いブラックジョークとしか言いようがない。
 もちろん、酸素は万能というわけではなく、酸素を呼吸することによって悪化するパラコート中毒や炭酸ガスナルコーシスなどの疾患も存在するが、それらは潜水現場で見られる疾患ではない。また、潜水現場で発症することの比較的多い過呼吸症候群にはたしかに酸素を投与することは望ましくないが、たとえ投与してもそれが致命的になるわけではない。さらに心筋梗塞などの一般的な疾患から見ても、酸素は益こそなれ、害になることはない。つまり、浮上後に見られる異常に対して一律に酸素を使用しても、法律上の制約を除けば問題はない。他方、眼を海外に転ずれば、潜水事故に対する救急セットとして酸素が組み込まれたシステムが採用されており8)、さらには、治療どころか減圧症を防止するために、3m以浅の浅深度での酸素呼吸をルーチンとして(常態として)行っている例さえある。したがって、今後はより合理的に柔軟にそして正しく酸素を使用できるように潜水界全体として強く働きかけて行くべきであろう9)

【結語】

 浮上後に減圧障害などによって異常を認めた場合に、どのように対応すべきかの参考になると思われる事項の一部を基礎的側面に重点をおいて述べた。酸素の使用については、より常識的合理的な使用が法的にも可能になるよう、その意義を強調した。

【謝辞】

 本稿は平成15(2003)329日に実施された第4回潜水医学小田原セミナーで述べた内容の一部を記したものである。お世話いただいた西村周氏に篤くお礼申し上げる。

〔参考文献〕

1)       池田知純:潜水医学入門−安全に潜るために.東京;大修館書店.1995.

2)       池田知純:減圧をめぐる諸問題.防衛医科大学校雑誌.23:149-62,1998

3)       Francis, T.J.R. and Smith, D.J.(eds): Describing Decompression Illness. Bethesda MD; Undersea & Hyperbaric Medical Society; 1991.

4)       Pearson RR: Diagnosis and treatment of gas embolism. In: Shilling CW, Carlston CB, Mathias RA (eds). Physician’s Guide to Diving Medicine. New York; Plenum Press, pp.333-367,1984.

5)       二階堂洋史,三須恭典,杉山弘行:気圧外傷により縦隔気腫となった一例.日本高気圧環境医学会関東地方会誌.Vol. 1, No.1. 36-38,2002.

6)       堂本英治,鈴木信哉,和田孝次郎,赤木淳,北村勉:減圧障害(減圧症と動脈ガス塞栓症)に対する再圧治療マニュアルの試み.日本高気圧環境医学会雑誌.36:1-17,2001.

7)       池田知純:減圧概論.In:高気圧酸素治療法入門−第3版.東京;日本高気圧環境医学会.pp.57-60,2002.

8)       Report on Decompression Illness and Diving Fatalities. DANs Annual Review of Recreational Scuba Diving Injuries and Deaths Based on 1998 Data. NC; Divers Alert Network.. 2000.

9)        池田知純:潜水の世界−人はどこまで潜れるか.東京;大修館書店, 2002.

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