日本高気圧環境・潜水医学会雑誌.2006;41(1):19-23
第40回日本高気圧環境医学会総会(2005)シンポジウム「日本の潜水問題を考える」にて発表
【緒言】
潜水作業に相応の危険性があることは広く知られているが1,2),職業としての潜水における安全性そのものについて考察した報告は,わが国ではほとんど認められないのが現状である。極端に言えば,潜水作業が許容レベル内で安全に実施されているか否か,基本的な事項についてさえ,確かなところは学術論文としては報告されていない。
そこで,今回シンポジウム「日本の潜水の問題点について」において,職業潜水について発表するように要請されたのを機会に,主に安全性の見地から職業潜水の問題点について致死例に焦点を当てて考察してみる。なお,港湾潜水ダイバーの協会である社団法人日本潜水協会(以下協会)では,潜水作業の安全性について見直すべく近くアンケート調査を実施する予定であるので,本シンポジウムのための新規の調査は実施せず,既報告をもとにして以下論じることにする。
その前に,職業潜水という用語について断っておきたい。職業潜水という言葉の本来の字義からすれば,それは職業としての潜水すべて,すなわち,漁業潜水,軍事あるいは警察等官公庁の潜水からレジャー潜水のインストラクターに至るまで,潜ることによって報酬を得る全ての潜水を指すべきかもしれないが,通例はより狭義の意味で使用される。具体的には,民間の港湾作業やサルベージ作業に関係する潜水を狭義の職業潜水ということが多い。従って,本稿においても狭義の意味で職業潜水という言葉を用いることにする。
【方法】
平成元年(1989年)から平成16年(2004年)まで(以下期間中)に協会で把握している潜水事故報告3)をもとにし,さらにそこで把握されていない事例4)も加えて,事故の頻度,原因等を分析した。原因については,事故報告に記載された内容ではなく,筆者が報告内容に基づいて推測した結果を原因とした。
事故の発生数を反映するとされる度数率を求めるに当っては,職業潜水に従事している人数を正確に把握することは困難であるので,協会が平成9年度に実施した「港湾潜水士実数調査報告書」5)にある5000名を就業人数とし,潜水士一日あたりの労働時間は8時間とした。また,事故の重症度も考慮に入れた強度率の推定にあたっては,全ての労働損失時間数の把握が困難であるので,死亡者のみを対象とし,定義に従ってその労働損失時間を7500日として求めた。なお,年間の就業日数は250日とした。
【結果】
期間中に報告把握された潜水事故は69件,致死例は39例であった(図1)。図中,折れ線は報告された事故の内,死亡に至った例の割合を致死率として示したものである。度数率は69×1,000,000/(250×8×5000×16)=0.43,強度率は39×7500×1000/(250×8×5000×16)=1.83となった。
原因については,図2に示すとおりで,12例は原因を推測できなかった。原因について以下に若干補足しておくと,送気不良とはダイバーが送気が不良であると事故の直前に報告していた場合,送気途絶は送気ホースが挟まれて送気が途絶えた場合,エア切れとはスクーバで潜っていてスクーバボンベが空になっていた状態,挟まれとは水中で構造物等に挟まれた場合,吸い込まれとは排水口に体が吸い込まれて死亡した場合をそれぞれ示す。
【考察】
本題に入る前に,強度率等の推定の基本となる就労者数,就労時間等について述べておきたい。いわゆる職業潜水に携わる人の数を把握するのは,潜水作業の時期あるいは事業によって雇用形態が異なったり,同一人が複数の場所で働いたり,あるいはレジャー潜水からの一時的あるいは恒久的流入等,ダイバーの雇用形態が複雑なため,きわめて困難である。現に,就労者数を把握するためだけに上述の調査が実施されたことがあるのも,その困難さを反映したものである。
今回は就労者数として協会による国交省への調査報告資料5)を用いたが,そこに示された5000名という数について,あまりにも多いのではないか,という意見が多くのところから発せられているという事実は紹介しておきたい。これは根拠のない素朴なフィーリングに過ぎないが,無視は出来ないと思う。また,その調査は平成9年のものなので,その後の不況,公共工事の減少等を勘案すれば,実数はそれよりもかなり少ない可能性が高い。さらに,一日就労時間を8時間,就労日数を250日としたのも,潜水業務の実態やパートタイマーとして働いている人が少なくないこと等も考慮すると,過大な数値になっているのかも知れない。
一方,事故報告についてみると,職業潜水において生じた事故を協会に報告するという公的な規約はないので,協会が全ての事故を把握しているという保証はどこにもない。実際,今回の論考に含めたヘルメットスキーズによると思われる致死例4)は協会では把握しておらず,当時事故が発生した場所の近傍に勤務していた筆者(IT)が地元の新聞記事からたまたま知り得たものである。このように,協会に報告されていない事故も少なくないのではないかと思われる。
また,強度率は正確には死亡者以外の労働損失日数も考慮に入れなければならないのが,本稿では死亡事例のみに限っている。
これらのことを考えると,本来の度数率ないし強度率は上に挙げた数値よりも相当に高いものである可能性があり,議論を進めるに当って留意しておかなくてはならない。
厚生労働省の労働災害動向調査によると、昭和51年から平成16年までの全業種を合わせた度数率と強度率はいずれもほぼ年代とともに低下しており,昭和62年以降,度数率は2.22〜1.72,強度率は0.20〜0.12となっている6)。表1は平成15年と16年の業種別にみた度数率と強度率である(http://www.jaish.gr.jp/information/h16_do01.html)。
強度率についてみると,全調査産業におけるそれは平成15年及び16年ともに0.12であり,潜水業のそれは15倍以上に昇る。比較的危険性が高いと思われる建設業についてみても,建設業全体では平成15年と16年ではそれぞれ0.25と0.57で,潜水業は建設業の7倍強及び3倍強になる。建設業の中の業種でみても,潜水業よりも高い値を示しているのは僅かに平成16年の橋梁建設事業で,それも平成15年は0.04に過ぎない。
度数率は潜水業の方が低くなっているが,それが作業の安全性を示すものとは言えない。なぜならば,図1で致死率として表された折れ線グラフをみると,致死率100%を示した年が3回もあり,全体でみても致死率は57%の高値に上る。これは労働災害におけるハインリッヒの法則(労働災害における重大災害:軽傷事故:無傷事故≒1:29:300とする)からすると極端に偏倚しており,むしろ軽微な事故は届けていない可能性が高いことを示唆しているからである。
以上のことから,職業としての潜水は明らかに許容できる危険域を超えており,安全ではないと結論づけることが出来る。
問題は,ではどうすれば致死事故を減らすことができるか,である。重大事故が発生するたびにその事故あるいは潜水作業全般が大きく見直され,夥しい数の教訓あるいは改善事項が導き出され潜水業界に提供されているにも拘わらず,依然として高頻度に事故が発生しているのは,そこに何らかの基本的ないし構造的な問題が横たわっている可能性を示しており,抜本的に改善するのは容易ではない。
そこで一つのヒントとなるのが図2に示した致死事故の原因である。今までになされた事故に対する省察は,例えば「挟まれ事故」の防止に関係する適切なクレーン操作,あるいは連絡や見張りの徹底等,潜水を専門としないという意味で一般の人にも想像できる対策が主なもので,言葉を変えれば精神的な掛け声倒れの傾向があった,と言っても過言ではないであろう。しかるに,そこで対象とされたような死因は全体の中で一部を占めているに過ぎず,過半数は潜水という行為の本質に起因する事故,あるいは特定できない原因による水中の死亡事故である。そうであれば,今後は潜水そのものにより専門的な視点から焦点を当てて原因を解明していけば,事故の減少につながる可能性がある。
具体的な対策として考えられるのは,教育とハードウェアの充実である。
安全に潜るためには相応の知識が必要であるが,以前に行った減圧表に関するアンケート調査にその一端が示されているように7),職業ダイバーの潜水に関する知識水準は些か心許ないのが実情である。職業ダイバーの技術ないし能力の向上は現実には様々な状況下の潜水作業に従事すること,言い換えれば実践を繰り返すことによってなされる部分が大きいと思われるが,充分な知識があってこそ実践を通して得られる個々の知見は相互に関連づけられ成果は大きいものになる。その意味で知識は重要であるが,知識の体系的効率的な取得はやはりなんと言っても教育だ。潜水の安全性を確保する上で教育が課題とされる所以である。
ハードウェアの充実は,特にわれわれ日本人において軽視されがちな教育をはじめとするソフトウェアの不備を補うためにも重視すべきで,容易に思いつくのが非常用ボンベの携行だ。送気回路の容量が少ない現在の送気式潜水では,回路のトラブルが直ちに重大事故に結びつきがちなのに対し,非常用ボンベがあればそれを回避できる可能性がある。そのようなところから,欧米では非常用ボンベの携行が常態となっているが,我が国ではまだそこまで徹底されていない憾みがある。その他にもいくつかの問題点があるが,紙幅の関係上割愛する。
また,潜水の安全性に関しては,上に論じた生命に直接関わる事故以外にも,減圧問題をはじめとするダイバーの健康に関する多くの事項,作業の快適性あるいは負担の軽減に関する課題,さらには作業のあり方,あるいは雇用ないし産業構造等にまで多岐にわたる問題があるが,いずれも一つの主題として論じられるべきものであるので,それを指摘するに止めておきたい。
【結語】
本邦における職業潜水が安全性の許容基準を遙かに逸脱して実施されていることを示し,より安全な潜水を目指して具体的な方策をとる必要性を記した。
【謝辞】
本稿発表の推薦をいただき司会の労をとられた毛利元彦先生,及び調査資料の提供をいただいた(社)日本潜水協会,(財)日本海洋レジャー安全・振興協会ならびに中央労働災害防止協会の関係各位に深謝いたします。なお,ここに記した意見は筆者の個人的意見で,(社)日本潜水協会の見解ではありません。
【参考文献】
1. 池田知純:潜水の世界−人はどこまで潜れるか.東京;大修館書店.2002.
2. 芝田高季:事故事例から学ぶ教訓と安全.In: 安全潜水セミナー 21世紀の安全潜水技術を考える.東京;(社)日本潜水協会,2004;12-21.
3. 相澤俊郎:潜水作業の事故例と防止策について. 潜水.60号,pp.42-46, 2004.(これは平成元年から平成15年までの事故を分析したものであるので,引用資料はこれに平成16年分を加えた)
4. 池田知純.ヘルメットスキーズ(圧外傷)が原因として考えられる潜水致死事故の1例.防衛衛生.1994;41(別冊):40
5. 平成9年度港湾潜水士実数調査報告書.東京;(社)日本潜水協会,1998.
6. 安全の指標,平成17年度.東京;中央労働災害防止協会,2005.
7. 池田知純:我が国の現行減圧表に関するアンケート調査.潜水. 60号, pp.16-20, 2004.
図1 潜水事故の事例数と致死率
図2 致死事故の原因