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Decompression Illness という用語

最近、decompresion Illnessという言葉が一般でも使われるようになりましたが、この用語が用いられるようになった経緯、あるいはこの用語が抱える問題点等については、あまり認識することなく、単に新しい用語だからと言って安易に使用している向きがないとも言えませんので、これについて述べておきます。

 不活性ガスが過飽和になって生じる減圧症は従来は英語でdecompression sicknessと言われ、体腔中のガスが物理的に膨張して生じる圧外傷あるいは空気塞栓症(air embolism)とならんで、減圧に起因して起こる障害の代表的なものです。また、減圧症は大きく分けて四肢の痛みなどを訴える1型減圧症とその他の2型減圧症に分類されていました。ところが、当時英海軍の軍医中佐だったフランシス医官と米海軍の軍医であるスミス医官が世界中の潜水医学の造詣の深い医師に減圧に起因して発生した様々な症例を送り、これらを客観的に正確に分類できるか否かを調べてみたところ、結果は無様にも殆ど一致を見ないものであることが判明しました。ということは、先に記した分類法が科学的客観性からはほど遠いことになり、いわば人為的に過ぎることになります。そこで彼らは従来の概念に代えて、減圧によって発症した全ての疾患をdecompression illnessという別の言葉で表し、個々の症例については別に症状や発症経緯等を付記することによって捉えようとしたのです。

 たしかに減圧に起因して発症した疾患(本稿ではこれを以降「減圧障害」と呼ぶことにします)を従来のように分類するのは人為的に過ぎ、彼らのその点に関する指摘は正しいものと言ってよいでしょう。しかしながら、病気の概念としてのいわゆる減圧症と空気塞栓症は完全に別のもので、それを無視してよく似た言葉で別の概念に基づく病態を表そうとするのには問題があります。はたして、潜水医学に関与する多くの医師からクレームが相次ぎ、ついには潜水医学会の学術雑誌であるところのUndersea & Hyperbaric Medicine誌上で双方の意見が同時に掲載されることになりました。

 新しい用語に批判的な立場を代表するものとして、Bove(ボベ)博士がその誌上あるいは別の場所で述べていますが、そこで次のように非常に適切な比喩をしています。人類というのは、雑多な物事の共通する部分を抽出しその核となる部分を見出すことによってその知識を増大してきたのが、今までの歴史である。例えば、地動説が提唱される前には天体の運行を説明するために別の天体を想定するなど複雑怪奇な説明を求めていたのが、地動説によってきわめて簡潔に全体を把握するが可能となってきたわけで、現在の減圧障害に対する対応というのは、せっかく今までに確立されてきた病因に基づく病気の概念を離れて現象を細かく記述しているに過ぎず、いわば逆行した状態である、と厳しく批判しています。(ところで余談になりますが、地動説の意外な側面については、講談社学術文庫の「神様はサイコロ遊びをしたか」に大変面白く記されていますので、興味がおありでしたらご覧になって下さい)

 さて、一方の新しい捉え方を擁護する立場としてはこれまた潜水医学界の重鎮であるムーン博士が誌面で論述していますが、私自身が昨年(1998年)博士と話す機会がありましたので、次のようなことで討論しました。


 まず、illnessとsicknessに英語のニュアンスとして何らかの相違があるか、と尋ねると、両者の間に相違は全くない、とのことでした。すると、英語本来の感覚として、decompression sicknessとdecompression illnessが勝手に異なる概念を表すのは不自然ではないか、人為的に過ぎないか、と質したところ、たしかにtoo arbitrary(人為的に過ぎる)かもしれない、という返事でした。また、英語が不得意な日本人が言うのは奇妙かもしれないが、illnessの代わりに例えばdisordersのような言葉なら、減圧障害をあらわす用語としてより理解が得られやすいのではないか、と言いましたところ、それにも表立った反論はありませんでした。さらに、次のようなエピソードも話しました。すなわち、ある日本人が英国で減圧障害に罹患して私にコメントを求めてきた際、潜水プロファイルからはどうみたって減圧症に罹患するとは思えず、おそらく空気塞栓症に罹患していたに違いないのに、英国では減圧症だと診断されていたという例を挙げました。これはおそらく英国でdecompression illnessと診断されていたのを減圧症と翻訳したのだと思うのですが、このようにdecompression illnessと言う言葉を安易に使用すると、病気の概念としての空気塞栓症が置き忘れられてしまう可能性がある、と言うと、興味を示して、そういうことは君が会議でしゃべるべきだ、とさえ言いました。私がしゃべることはないと思いますが、あの明晰なムーン博士でさえ、この問題になるとなかなか明確な反論が出来ないようでした。

 また、その後知り得たことですが、米海軍のダッカ(Dutka)大佐はdecompression illnessのかわりにdecompression injuriesという用語を減圧障害を示す用語として使用しています。Injuriesのほうが減圧障害を示す用語としてはillnessよりは自然だと思います。ダッカ大佐自身はillnessに代えてinjuriesという言葉を使用した意図をその場では明言していませんが、前述のボベ博士がこの用法に賛意を表しています。

 このように、欧米でも未だdecompression illnessという用語に明らかなコンセンサスは出来ていないようですので、我々としては少なくともdecompresion illnessを減圧症を表す新しい言葉としてムード的に得意がって使用するのは慎重にした方がよいでしょう。

 誤解のないように言っておきますが、減圧症と空気塞栓症の臨床的鑑別が容易でないことは事実ですし、両者をまとめて捉えようとするアプローチに私は反対しているわけではありません。アプローチそのものには賛成です。ただし、用語あるいは概念としての、減圧症=decompression sickness、空気塞栓症=air embolismという言葉はそのまま残した方がより自然で有用であり、無用の混乱を招かないですむ、と言っているにすぎません。

 ところで、私自身は減圧症と空気塞栓症など減圧に起因して起こる疾患を一括して「減圧障害」と言う言葉で表したいと思っており、本稿や他の論文などではことわり(説明)を入れた上で使用しているのですが、皆様のご意見はいかがでしょうか?

空気塞栓症と潜水事故

潜水中に発生した致死事故のうち、とくにスクーバ潜水に於てはその原因として溺死が最も多いと言われています。しかしながら、ここで注意していただきたいのは、溺死というのは結果であって、その原因としては様々な事象が考えられると言うことです。私はそれらのうち、空気塞栓症によるものがかなりの割合を占めているのではないかと疑っています。勿論、溺死した症例を解剖してその死因として空気塞栓症が多数を占めている、と言うことを示しているはっきりした報告は多分ないと思いますので、これはあくまで推測にしか過ぎませんが、若干の根拠がないわけではありません。

 まず第一に空気塞栓症による溺死というのは、原因となる空気塞栓症が発生した直後に生じていますので、脳の解剖を行なっても空気塞栓による梗塞像(空気によって動脈が塞がれたために生じる組織の壊死像)を確実に捉えることは通常の解剖ではほぼ不可能であると言うことが挙げられます。つまり空気塞栓の像がなくても、空気塞栓が発症したことを否定する根拠にはならないのです。(補足:心筋梗塞の例ですと、通常の光学的顕微鏡で調べた場合、梗塞が発生した6時間後になってごくごく僅かな変化が生じるに過ぎないと言われています。電子顕微鏡で調べればもっと早期に判りますが、検索の場所が非常に狭い部位に限られるために、前もって病変の部位が判っていなければなりません。つまり、電子顕微鏡でも病変像は捉えられないことになります)


 
第二に、潜水によって生じた空気塞栓症というのは、息を吐かないまま急速浮上して肺が過膨張になって肺圧外傷を来し、そこから空気が動脈中に進入し空気塞栓を起こす、といわれていますが、これは典型例に過ぎません。空気塞栓症を来した症例の過半は明らかな肺圧外傷の像を示していないと言われています。また、次に示す症例のように、急速浮上をしていない例にも空気塞栓症は発生しています。

 第三に、当方の限られた経験があります。私は海上自衛隊の潜水学校がある江田島で6年半勤務しましたが、その間に2例の空気塞栓症を経験しました(その前後を含めるとさらに多数になります)。別に海上自衛隊の訓練が荒っぽいわけではありません。これら2例はいずれも海ではなくて深さ10mのタンクの中で訓練中に起こったものですが、2例ともゆっくりと通常に浮上直後に発生したものです。もちろん肺の圧外傷を示す所見はありません。海上自衛隊の訓練は綿密に計画され慎重に実施されていますが、それでいて6年半に2例の空気塞栓症というのは大きい数字ではないでしょうか。さいわい、この2例は近くに医官が待機しており直ちに再圧治療がなされたために全治しましたが、これがレクレーション潜水中の海で発生したら、おそらく溺死になっていると思います。

 このようなところから、私は潜水中に発生して溺死として扱われている症例の中にかなりの割合で空気塞栓症が含まれているのではないかと考えています。しかしながら、事故に遭遇したときにそこまで考えて対応するということは、なかなか困難でしょう。現に海上自衛隊でも潜水中に意識障害を来した例に対する普通の医官(潜水に深く関わっていないと言う意味で)の対応をみていますと、まず心筋梗塞等を考え、空気塞栓症などは最初から考慮の範囲外であることが多いようです。たしかに心筋梗塞や不整脈は通常は突然発生する意識障害の主要な原因ですが、若くて動脈硬化もあまりないような人の場合、潜水中に生じた意識障害あるいはそれに基づく溺水に関しては、心筋梗塞等よりも空気塞栓症の可能性の方が高いのではないでしょうか。そして、気道確保や循環の維持等の救命救急と共に常に再圧治療を考えておくべきでしょう。

減圧理論

 減圧理論には様々なものがありますが、若干誤解されている面がありますのでここに記しておきます。

 みなさまもよく耳にしておられると思いますが、科学的な推論に基づく減圧理論は英国のホールデーン教授によって開発されたのがその嚆矢です。その考えの骨子は、水中の高圧下で呼吸されている窒素は肺で血液と接している短い間にほぼ瞬時にその分圧の差の分だけ肺から血液の中に移動し、そのようにして窒素分圧が高くなった血液は末梢に運ばれて、そこでまた分圧の差の分だけ組織に蓄積されていく、という単純なものです。それを数式で表すと、皆様も目にしたことがあるかも知れませんが、基本式とも言える単純な指数関数になります。その式の展開は拙著「潜水医学入門」の付録2(264-266ページ)に詳細に記してありますから、要すればそちらを参照して下さい。因みにこの原始的とも言える式の展開が日本語で明瞭に示されたのはこの記事が最初です。

 ところで、この理論は現行の米海軍潜水教範(ダイビングマニュアル)をはじめ多くの減圧表の理論的根拠となったもので、いわば古典的減圧理論とも言えるものですが、その理論によって実際に減圧表が制定されるに至るまでの経過は、あくまで実用性が重視される減圧表の本質がからんで、極めて複雑なものでした。その経緯をたどるのは必ずしも容易ではありませんでしたが、この程その概要を次のように「日本高気圧環境医学会誌」に「古典的減圧理論の展開」3部作として発表しましたので、興味のある方はご覧になって下さい。

    1.最初の改訂減圧表まで(31:181-187,1996)  
     2.米海軍標準空気減圧表の制定 (31:229-237,1996)
     3.M値の概念及び古典的減圧理論の限界(32:101-105,1997)


 しかしながら、ここでお断りしておかなくてはならないことがあります。それはこの理論はあくまで一つの理論で、私の勉強不足のため、他の多くの考え方に対する言及が十分でなかったことです。そのうち重要なのはヒルズ(B.A.Hills)の理論ですが、これに対して全く言及しなかったことは怠慢あるいは無知と言われても仕方がありません。ヒルズの考えは極めて難解ですので、その航跡を追うのに力不足ですが、その一端はこのほど印刷された「減圧をめぐる諸問題」で扱っておりますので、要すれば参照して下さい。

 このように減圧理論には様々なものがありますが、これまでに述べたものいずれにも共通する基本的な問題点があります。それは、減圧理論というのは減圧症に罹患しないで減圧するための理論ですが、その根本的なところに、減圧症というのは生体内の不活性ガスが気泡化したために生じる、という前提があります。しかし、現在では気泡の検知がより容易になってきたところから、逆に、気泡の存在が減圧症と必ずしもストレートに結びついているとは必ずしも言えないのではないか、という考えが広まっています。また仮に気泡の出現が大きな要因を占めているにせよ、気泡化というのは液相から気相への相転位のことで、いわゆる複雑系の典型例といってもよく、それを数学的に捉えるのは容易ではない、ということも挙げられます。

 このようなところから、それまでとは完全に異なった新しい視点から対応したのが米海軍のウェザスビ大佐(退役)で、その考えの骨子は次のようになっています。すなわち、減圧による気泡化あるいは減圧症の罹患には実に多くの因子が絡んでいるので、それを演繹的に捉えるのは容易ではないとし、逆にそれまでの膨大な潜水記録から帰納的に減圧症に罹患する頻度を類推して、減圧表を作成しようとしたのです。この考えに基づく減圧表はすでに報告書として海軍から出版されていますが、そこで面白いことが起こりました。というのは、この新しい減圧表を制式化すべく、海軍の諮問委員会に諮ったところ、ダイバーの側から減圧時間が長すぎる等の異論が続出し、制式化はまだ進んでいないそうです。これなどは、減圧というのがあくまで実用性と深く結びついている側面を示しているとも言えるでしょう。

鮫よけ

今まで実質的に有効な方法はないとされてきた鮫撃退法ですが、南アフリカで電場を作ることによって鮫を遠ざける方法が開発されました。日本でもその機材を用いた評価試験が沖縄海洋公園で(株)日本海洋によってなされています。この(1999年)二月に開催された第13回ダイビングフェスティバルにおいてシャークPOD(Protective Oceanic Device)という商品名で初お目見えしました。

スクーバ or スキューバ?

どうでもいいことかも知れませんが、自給気式潜水はカタカナ書きでスキューバ、あるいはスクーバと書かれます。サーチエンジンでも検索項目などで表示されているのは、スキューバとなっており、スキューバの方が広く使われているようですが、なんとなくすっきりしません。私は英語は下手くそでロクに話しも出来ませんが、どう聞いても英語をしゃべる人は、スキューバではなくてスクーバと発音しているように感じます。独断と偏見を承知の上で言えば、これはどうも綴りのCUはどうしてもキュと発音しなければならないという先入観に基づいているのではないかと思うのですが、皆様のご意見はどうでしょうか。

 おなじようなことで、例の減圧理論の基本をしめしたイギリスのJ.S. Haldane教授の発音があります。私以外の全てのカタカナ表記はホールデンとしており、日本語の会話で話すときは前にアクセントを置いています。しかし、英語をしゃべる人の発音を何度聞いても私の耳には、ホールデーンあるいはハルデーンと聞こえます。しかし、これなどもヘップバーンとヘボンが同じ綴りであることを考えれば、どうでもいいことかも知れません。みなさまはどうお考えでしょうか。

タイタニックと低体温症

イギリスのホワイトスターライン社の大西洋横断定期客船タイタニックのことは映画で一躍有名になりましたが、実はここでも遭難者の死因の過半はいわゆる溺死よりも低体温症によるものであろうと言われています。タイタニック号に乗客全員が乗り移ることのできるだけのボートが搭載されていなかったことは確かに事実ですが、それでもって死亡原因を溺死にする訳には行きません。というのは、近くを航海中のカルパチア号が遭難現場に到着したのは事故のわずかに50分後で、その上、当時の海面は穏やかでした(ただし、水温は0度に近いのですが)。しかも、船に備えられていた救命胴衣は船客や乗員数を遙かに上回る3560個を数えていました。ですから、低体温が関与していないのならば多数を救助できたはずです。しかし、現実は、その時までにまだ海中にいた1489人の人は誰一人として救助することは出来ませんでした。このことを合理的に説明できるのは低体温症以外にありませんが、人間の先入観の強固さからか、公式記録では死因は全て溺死によるものとなっているそうです

 ところで、ここで又ちょっと脇道にそれます。タイタニックは英語では「RMS Titanic」と書きますが、このRMSは何を表すかご存じですか。これはRoyal Mail Steamshipの略です。(このホームページで最初は「SS Titanic」と書く、としましたが間違いのようです。) 普通の船はSteam ShipからSSと付けるのですが、タイタニックは政府御用達の郵便船も兼ねていたからでしょうか、RMSになっています。格上になるのでしょうか。ご存じでしたら教えてください。しかし、現在では蒸気船そのものが殆ど姿を消しているのでSSのつく船はほぼ皆無です。大多数はディーゼルエンジンで動いていますので、Motor Vesselから、冒頭にMVと記します。軍艦にはまた別の表記法があります。イギリス海軍の艦艇はHMSを艦艇名の前につけますが、これはHer Majesty's Shipの頭文字のことです(時代によってHerになったりHisになったりします)。「女王陛下のユリシーズ号」として訳されている海洋文学の名作がありハヤカワ文庫として文庫本にもなっていますが、この女王陛下はHMSをそのまま訳したものです。しかし、この訳は果たして正しい訳でしょうか。というのは、今でこそ英国の国家元首はエリザベス女王ですが、当時はたしか国王の時代だったと思います。そうすると、正しくは「国王陛下のユリシーズ号」になります。また英字新聞では空母エンタープライズをUSS Enterpriseと記しますが、このUSSは誤植ではありません。United States Shipの略で、一般商船には用いません。では、わが海上自衛隊の艦艇はどのように表記するのでしょうか?海上自衛隊はMaritime Self-Defense ForceなのでMSDF Shipなのでしょうか。違います。そんなに長たらしい表記ではなく、JDSを冒頭に附けます。根拠は簡単ですから考えてみて下さい。

閉息潜水

最近、素潜りのことを閉息潜水という言葉で表すことがありますが、釈然としません。

閉息潜水という言葉が一般に目につくかたちで使用されたのは、フランス語の書籍から訳された「潜水学」(1982年マリン企画)という書物において用いられたのが最初の例です。それまでは、素潜り、あるいは息こらえ潜水という用語が用いられてきました。
「潜水学」の訳者は、同書の中にあるフランス語の"la plongee en apnee"の訳語として、「閉息潜水」というそれまで用いられたことのなかった言葉を使用した理由を、同書157〜158頁の訳注において次のように記しています。要点だけ示しますと、息こらえとは、医学書専門書店の南山堂発行の医学大辞典では"voluntary apnea"(フランス語ではapnee volontaire:アクサン等は省略)、すなわち、意識的に息を止めることとなっており、それに対して潜水中に息を止めているのは必ずしも意識的に行っているのではない、むしろ「水中だから息ができない状態」のためであるとして、「息こらえ」と言う言葉は用いるべきではない、と述べています。
しかし、素直に考えて我々が素潜りで潜るのは、意識的に息を止めて潜るのではないでしょうか。英語でも素潜りのことを"breath-hold diving"、それを直訳して「息こらえ潜水」と言いますが、この"breath-hold"というのは、意識的に息を止める意味合いを持っています。たしかに、水中では息が出来ない状態、と言うのも一理あるようですが、私にはこじつけのように感じられます。
また、同じ箇所で、"la plongee en apnee"を「息をしない」あるいは「息ができないために息を閉じている一連の動作」を表すものと捉え、したがって、訳語として「閉息潜水」という言葉が最も適切である、としています。しかし、私にはそこのところの論理の展開がわかりません。
このフランス語を見ますと、plongeeは潜水、apneeは、a=無、pnee=呼吸、ですので、素直に訳せば、閉息潜水と言うよりも、むしろ無呼吸潜水と訳すべきでしょう。これがなぜ「閉息潜水」になるのか、一般的な日本語の語感からも納得ができません。
以上に加えて、「閉息潜水」という言葉を用いるのに釈然としない理由として、言葉が本質的に持つ性格が挙げられます。つまり、言葉というのは個人がそうあってほしいといくら望んでもそうはならず、むしろ自然に落ち着くべきところに落ち着くのであろうと考えるからです。もちろん、これは個人の力を軽視するのではなくて、その個人が提案した用語がそのものに真にふさわしければ、おのずから定着していくであろう、ということを言っているのです。
その視点から、「閉息潜水」という言葉をみますと、いま現在、一般の人で「閉息潜水」という言葉から「素潜り」を連想できる方がどれほどいるでしょうか。「素潜り」という言葉からはほぼ正確にその言葉が指す潜水のイメージが浮かんでくると思いますが、「閉息潜水」から言わんとする潜水を思い浮かべることは、前もって知識がない限り、ほぼ不可能です。
今度は逆に、「息こらえ潜水」という用語を考えてみましょう。たしかに、「息こらえ潜水」というのは、やまと言葉と漢語の合成語ですっきりしたスマートな日本語ではないかも知れません。しかしながら、「息こらえ潜水」というのは英語の"breath-hold diving"と言う用語を翻訳したもので、生理学者ではない人も「息こらえ潜水」と言えば、息をこらえて潜るということを表すのだな、という連想をすることができます。そういう意味では非常に適切な言葉と言えます。少なくとも、「閉息潜水」よりははるかにわかりやすいでしょう。
さらに、無視できないこととして、これまでの経緯があります。「息こらえ潜水」という言葉を最初に使ったのは、聞くところによれば名古屋市立大学学長をされた故高木健太朗名誉教授で、もう40年(?ここは正確に確認しているわけではありません)も前のことです。以前に、慈恵医大の浦本教授が息をどこまでこらえられるかの指標を「止息力」と言っていたのを高木教授が「息こらえ」と平易に言ったところ好評で(高木健太郎:「やぶにらみ」の生理学、66頁)、以降、日本の生理学の分野では素もぐりのことを「息こらえ潜水」という用語で表すことになったようです。また、以前に配布された生理学用語集でも「息こらえ潜水」とされていました。

誤解のないようにしておきたいのですが、私は権威者の言うことには盲目的に従うべきだ、と言っているのではありません。「息こらえ潜水」という用語が長く使用されてきたのには、それなりの必然性があったのであろうし、その歴史を尊重すべきだ、ということを言いたいのです。あまりにも不自然で人為的な言葉を用いるのは避けた方が賢明です。言葉というものに我々はもう少し謙虚でなければなりませんし、また新しい用語を使用するときには慎重にすべきです。その方が、将来無用の混乱を招かなくてすみます。
この項、少し強く自己主張しすぎたかもしれません。皆様のご意見を是非お聞かせ下さい。mail

レジャー潜水の安全性

平成11年12月に開かれた第34回日本高気圧環境医学会総会で、「レジャー潜水は安全か」と題して、一般発表を行いました。これは、このホームページからもリンクしている中田誠氏の議論から着想を得たもので、自動車に搭乗しているときと、レジャー潜水を行っている場合の、時間当たりの死亡数を指標として、レジャー潜水の安全性を考えてみようとするものです。以下に、発表抄録の全文(一部数値は修正)と、当方からのコメントを記しておきます。

【背景】一般にレジャー潜水は漠然とある程度の危険性があるのではないかと思われている反面、指導的立場からは安全であるというコメントがなされることが多く、コンセンサスは得られていない。その主な理由は共通の指標を使用して比較していないことにあると考えられる。
【方法】共通の指標を用いて潜水中と自動車搭乗中の危険性を比較すべく、それぞれの100万時間当たりの死亡者数(以下死亡者数)を算出して検討した。潜水は伊豆半島の伊豆海洋公園、大瀬崎及び八幡野における年間タンク使用数と死亡事故を、当該地区の情報及び第3管区海上保安本部の資料より求め、年ごと及び地区ごとの値を独立と見なして、死亡者数を算出した。自動車搭乗中の死亡者数は主に交通事故総合分析センターの資料より得た。潜水事故は安全な方向に偏るべく、タンク1本あたりの活動時間を1時間とし、自動車事故は危険な方向に偏るべく、平均走行速度を40km/hとした。信頼区間はt分布により求めた。
【結果及び考察】平成3年から10年の間に潜水に関する所要の情報が得られたのは全体で延べ15ヶ所であり、1ヶ所当たりの年間タンク使用時間は9.10±2.82×10の4乗時間、死亡者数は17.5±12.5であった。平成7年から9年にかけての年間自動車走行時間は1.84±0.0311×10の10乗時間、死亡者数は0.238±0.0130であった。以上のことは、レジャー潜水の死亡事故を安全な方向に偏って検討した場合でも、潜水中の死亡者数は95%の確率で自動車搭乗中の39倍以上、50%の確率では62倍以上あることを示している。したがって、レジャー潜水を安易に安全であると言うべきではないと考える。

以上が、発表の概要です。レジャー潜水の安全性について、一部の指導的立場の方から、例えば「レジャー潜水はゲートボールよりも安全である」というコメントがなされたことがあるやに聞いておりますが、決してそのようなものではないことは、ここに記したように、明らかです。十分注意して潜ってください。

ちなみに、レジャー潜水、あるいはレジャーダイビングは和製英語です。普通は、レクリエーショナル・ダイビング(recreational diving)という言葉が使われています。

妊娠と潜水

潜水を楽しむ女性が増えてきたためでしょうか、妊娠している女性が潜ってよいか否か、を聞かれることが多くなってまいりました。この場合、潜ることが妊婦自身に及ぼす影響よりも、胎児に及ぼす影響の方が重要視されています。潜ることが胎児に及ぼす影響として考えられる主なものには、母体における気泡の出現、酸素分圧の上昇あるいは逆に低下、寒冷刺激などが挙げられますが、なかでも気泡が母体内に出現したときの影響が重く見られています。というのは、たとえ気泡が体内に出現したとしても、通常では肺の毛細血管が気泡に対して極めて有効なフィルターの働きをするので、気泡が全身に行き渡ることはありません。しかし、胎児の場合はほとんどの血液が肺を通らないで循環するために、途中に気泡を捉えるフィルターがないことになります。したがって、ごく僅かの気泡が血液の中に存在しても、その気泡が全身を循環し、胎児に大きな影響を与える可能性があるからです。また胎児の酸素分圧はもともと極めて低いために母体の酸素分圧が下がればただでさえ低い酸素分圧がさらに低下することになります。高酸素分圧も胎児に悪影響を及ぼす可能性があることは、厳密にはちょっと 異なりますが、未熟児網膜症の存在からも推測できます。

このようなところから、妊娠した女性が潜ってよいか否かが問題となっているわけです。しかしながら、これに答えることの出来る医学的な研究ないし調査報告は多くはありません。数少ない報告例を見ますと、例えば妊娠中も潜水を続けていた女性に重度の奇形児が生まれた、というものがあります。しかし、潜らない場合でも奇形児が生まれることはありますから、1例報告だけでは何とも言えません。あるいはまた潜水を行っていた人に奇形が多く見られたとするアンケート調査の報告もありますが、統計的には充分検討されていません。結局はっきりした結論は出ていないのが現状です。しかしながら、潜水医学に関わっている指導的立場の人の多くが、潜水が胎児に悪影響を及ぼす可能性は否定できない、そうであれば、母親には生まれてくる子供に悪影響を及ぼす可能性のあることを行う権利はない、したがって潜るべきでない、というどちらかと言えば倫理的な理由によって、妊娠の可能性のある母親が潜ることに強い懸念を表明しています。

しかし、言い方を変えれば、これははっきりした医学的根拠がなく結論に近いことを導き出していることになります。はっきりした医学的結論を出すために一番単純なことは実際に妊婦に潜って貰って結果を見ればいいのですが、しかし、そのようなことはそれこそ倫理的に絶対に許されません。そこで私は日本で古来から連綿と続けられている海女さんの妊娠と出産を調べてみようと思いました。その簡単な調査結果は次のとおりです。

調査を行ったのは三島由紀夫の「潮騒」で有名な伊良湖水道にある神島です。そこで海女さんの聞き取り調査を行いました。総計213例の妊娠のうち193例が妊娠中に素潜りを行っており、その中で昭和25年から44年までの20年間の周産期死亡率(出生1000例あたりの周産期死亡数、言い換えれば妊娠28週から生後1週間までの間における死産及び新生児死亡の合計数)をみますと、6.8でした。同じ時期の日本全体の周産期死亡率は38.9ですので、神島の周産期死亡率の方が有意に(統計学的に意味があるという意味)小さいことになります。しかし、周産期死亡率は胎児というよりも母体と胎児及びその時の社会の衛生状態ないし医療水準などを複合的に反映した数値とも言えますから、むしろ、流産の方が胎児への影響とより密接に関連している、という考えもあります。そこで、妊娠期間中に潜った場合と潜らなかった場合の流産の割合も調べてみました。そうすると、潜った場合は193例中2例(1%)、潜らなかった場合は20例中6例(30%)の流産が認められ、これも潜った場合の方が流産の割合は有意に少なく出ました。

この結果をどのように解釈するかは慎重にしなければなりませんが、少なくとも素潜りが海女さんの妊娠に悪影響を与えているとは言えないと思います。そして、スクーバ潜水と素潜りではたしかに条件が大きく異なりますが、この結果を敷衍(ふえん)して、スクーバ潜水でも気泡が出現する可能性がほとんどないような適度な潜水深度や時間内であれば、潜水が妊娠に及ぼす影響についてさほど重大に考える必要はないのではないかと推測しても、あながち無理な推論とは言えないだろうと感じました。

以上、一般に言われていることとはかなり異なりますので、私自身、内心かなり躊躇しているのですが、ご意見がおありの方は、是非お聞かせください。

潜水艦救難

この8月12日、バレンツ海でロシア海軍の原潜「クルスク」が108mの海底に沈みましたが、このように海底で行動不能に陥った潜水艦から乗員を救出することを潜水艦救難と言います。潜水艦救難は高い水圧のかかっている海底の密閉された環境から乗員を大気圧まで戻す作業ですから、通常の海難事故の救難とは異なり、あまり一般には知られていない独特の方法を用います。以下、主な救難方法について簡単に触れることにします。なお、本HPの用語解説で解説している用語については、あらためて説明はいたしませんので、ご面倒ですがそちらをご覧になってください。

救難方法には大きく分けて、個人脱出、救難チャンバーを用いた救難、深海救難艇(DSRV)を用いた救難、前もって潜水艦に組み込まれた脱出区画を分離して浮上する脱出、あるいは救難艦に備えた大型のROVと言ってもよい救難装置による救難、等があります。ここでは、その内の一部について記します。

個人脱出には二つの方法があります。一つは第二次大戦前から用いられている方法で、潜水艦に設けられている4〜5人同時に収容できる脱出筒を使用するものです。潜水艦の艦内から脱出筒に乗員が移動したのち、脱出筒の下のハッチを閉め、それから脱出筒を海底の水圧と同じまで加圧し、今度は脱出筒の上部ハッチを開放してそこから個々に水面に向かって上昇していくものです。この場合、脱出可能深度が浅いところに限られます。

もう一つの個人脱出は、脱出筒の容積を1人分だけに小さくして、その替わりに、海底の水圧と同じ圧力まで加圧する時間を数秒ほどに短縮して脱出する方法です。なぜ、加圧時間を短くするかというと、深い深度から浮上して減圧症に罹患しないためには、滞底時間がそれこそ1分以内前後に制限されるからです。具体的に言うと、1人が脱出筒に移るごとに、脱出筒内を例えば100m相当圧まで4〜5秒というすさまじい速さで加圧し、脱出筒の内部圧力が環境圧力に達するのとほとんど同時に上部ハッチを開けて、乗員は脱出筒からそれこそロケットのように水面に向けて飛び出すわけです。もちろん、こんなに急速に加圧すると耳抜きが出来ない人も多いと思いますが、鼓膜の破裂などは生命に直接の影響がないために、そんなことには委細構わず加圧してしまうわけです。笑い話のようですが、この方法を用いて脱出したあとタバコを吸ったら煙が耳から出ていた例もあったそうです。

こんな話を聞くと、そんな無茶な、と思われるかも知れませんが、当方の知る範囲では深度190mからの実海面での脱出実績もあります。また、英国海軍の士官や下士官に、もし自分が脱出しなければならない羽目になった場合、後ほど述べるDSRVを用いた救難とこの方法による脱出のどちらを取るか尋ねてみたことがありますが、状況にもよるが個人脱出の方を選ぶ、と言う人も少なくありませんでした。

この個人脱出は現在のイギリス及びスカンジナビアの海軍(もしかしたらドイツも)で採用されています。

次いで、救難チャンバーを用いた救難ですが、これは救難艦に備えられたマッカン(McCann)チャンバーというのを潜水艦の艦上にワイヤーで吊り下げて降ろし、潜水艦の救難口にメイティング(密着)させ、そこから潜水艦の乗員をチャンバー内に移して救難するもので、米海軍の潜水艦救難艦の標準装備でした。海上自衛隊でも潜水艦救難母艦「ちよだ」が建造されるまでは、この方法によっており、今回ロシア海軍が最初に試みた救難方法も基本的にはおそらくこの方法だと思います。欠点は、救難可能深度が限られること、潜水艦の体勢によってはメーティング不可能であること、海上の気象状況に大きく左右されること、などがあります。

深海救難艇DSRVを用いる方法は、下部に潜水艦とメイティングする装置を備えた小型の潜水艇を直接海底の潜水艦の脱出口に密着させて、乗員を救難するものです。この方法によって救難可能深度は飛躍的に増大しましたが、潜水艦の傾き等によってメイティングできない場合もあります。日本では海上自衛隊の「ちよだ」と「ちはや」に搭載されていますが、欧米では航空機によって速やかに遠隔地に移送できるシステムになっているそうです。

ところで、「クルスク」の救難作業において、ノルウェーのダイバーが潜水艦のハッチを点検している写真が広く報道されましたが、このときの潜水方法は飽和潜水によるものです。ある日本のメディアに、プロならば素潜りでも到達できる深度にロシア海軍はなぜ潜れないんだ、というのがありましたが、それは酷というものでしょう。飽和潜水によらなければ、あんな風には108mの深さまで潜れません。ちなみに、飽和潜水の最も高度かつ実用的な能力を有しているのは、北海油田において豊富な実績を有するノルウェーです。

ベンズ

減圧症を表す別の用語としてベンズという言葉が使われることがよくありますが、その言葉に特別な意味を加味するなど、誤解されている場合もときに見受けられますので、ベンズについて記しておきます。

そもそもベンズ(bends)というのは英語のbend(曲げる)から来ています。どうしてベンズが減圧症を表すようになったかというと、1870年頃にアメリカのセントルイスにおけるミシシッピ川の架橋工事に伴う潜函工事(浸水を避けるために作業現場を高圧にしてその中で行う土木作業)の際に、痛みなどの軽い減圧症に罹患した潜函工の歩く姿が、当時流行だった若い女性の膝を曲げて歩く姿に似ていたことによる、と言われています。ですから、当初は減圧症のうちでも神経症状を欠き痛みのみを訴える軽症例をベンズと呼んでいたわけです。特に、四肢ベンズ、英語でハイフォンを付けたlimb-bendsは四肢の痛みのみを訴える軽微な減圧症を表す簡便で口語的な言葉としてよく使われるようになりました。

ところが、言葉というのは一人歩きをするもので、特に英国などではベンズが全ての減圧症を表す言葉としても用いられるようになってきました。例えば、neurological bends(脊髄神経などが冒された減圧症)などという使い方がなされておりますが、これなどはベンズが本来は軽症の減圧症を表すものであったのが、重症例も含めた減圧症と同じ意味で使用されていることになります。このようなところからか、本来ならば軽症のベンズを表すためにはpain onnly(痛みのみ)などという修飾語は不要だったのに、わざわざpain only bends(痛みのみの減圧症)という言い方をするようになったのではないかと思います。

ですから、結局はベンズにははっきりした定義はないことになります。減圧症と完全に同じ意味で使う場合もあれば、軽微な減圧症をベンズとしていることもあります。つまり、ベンズの意味はベンズという言葉を使う人のそれぞれの使い方を尋ねてみなければわからないということです。ときに、ベンズと減圧症は違うのだと言っている人を見かけますが、ここに記したことを考えれば、あまり意味がないことになります。

以下は、私の私見ですが、英語でこのように意味が曖昧になるのは、英語そのものの特徴と言ってもよいのではないでしょうか。というのは、英語を使う人は同じ言葉を繰り返して使うのを美学的な観点から出来るだけ避けますので、意味する事柄が同じでも、微妙に異なった言葉を使いたがるのです。このことは私自身として前から興味があったので、知り合いの英語圏のひとに尋ねてみたところ、そのとおり、ということでしたので、あながち私の独りよがりの独断、というわけではないと思います。もっとも、これは日本語でも同じことかもしれませんが。

ところで、今ではbendsを動詞にも用いて、例えば減圧症に罹患したダイバーというのを bent diver、あるいは減圧症に罹患した、を He was bent. のようにも言います。また、減圧理論の大家のHillsは、気泡が神経を曲げる(bend)ことによって減圧症の症状としての痛みが発生している、として bendsということばを用いていますが、これは彼一流の諧謔(かいぎゃく)精神(ユーモア)かも知れません。
またよく誤解される言葉として、「重症型減圧症:serious decomopression sickness」という用語がありますので、簡単に触れておきます。一般に重症というと生命が危険な状態を指しますが、減圧症の場合の重症型とは、筋肉や関節の痛み、あるいは皮膚の発赤ないし痒みのみを呈するいわゆる1型減圧症以外の減圧症、つまり2型減圧症とほぼ同じ意味で使われることがよくあります。

拡散モデルに基づく減圧理論

大したことでは全然ありませんが、これまで日本語での解説記事が皆無だった拡散モデルに基づく減圧理論の総説記事を発表しました。米海軍の減圧表をはじめ多くの減圧表は拡散モデルではなくて灌流モデルに基づいて作成されていますが、拡散モデルによる減圧表の作成はかなり様相を異にしています。ご興味のある方は、日本高気圧環境医学会雑誌第35巻(2000年)3号131-146頁をご覧になって下さい(本当はこの欄にその内容をそのまま記したいのですが、記事の量が多いのと、数式が多く含まれておりアップしにくいため断念しました)。

なお、最近の減圧コンピュータに多く採用されているモデルは拡散モデルとも異なるものであることを申し添えておきます。

当ホームページへの反響

1999年2月1日に当ホームページを開設し、すでに2年と10ヶ月(34ヶ月)を経ました(2001年12月1日現在)。おかげさまを持ちまして、ホームページへのメールも多く月平均5通を超えるに至っております。

つきましては、兼ねてのお約束どおり、その成果を今年(2001年)11月30日と12月1日の2日間にわたって福岡で開催されました日本高気圧環境医学会総会に発表しました。その概要は日本高気圧環境医学会雑誌に抄録として示しておりますが、注目すべき点をここに挙げておきます。

その一つは何としても日本における減圧症治療の水準が低いことが明らかにされたことです。減圧に関するメール40通のうち、臨床的な質問(ご自分の症状が減圧症か否か等)が本年9月末までに26通ありました。そのうち私の判断では、減圧症であると考えられたものは6通、減圧症ではないと考えられたもの11通、判断を下しかねる例が4通、残りの5通は判断を要しないものでした。

減圧症であると考えられたもの6例のうち2例はご自分でそのまま観察されました。医療機関を受信された方がいいかなとも思いましたが、症状は軽いので、これはこれで決して間違いではないと思います。もう一例は一般医院でアレルギー疾患ではないかと診断されたものです。一般医院を受診した後、ご本人が減圧症ではないかないかと心配し、当方にメールを送りました。発症経過と症状からみると減圧症の疑いが強いものでしたが、大した症状ではなかったためにこのまま様子を見ることにされたようです。理想を言えば、一般医院でも減圧症と診断あるいは減圧症の疑いがあるとすべきでしょうが、率直に言ってそこまで一般医院に求めるのは酷ではないかと、私は思います。したがって、これらの例はそれほど問題ではないと思います。

問題は残りの3通です。第1通目は、減圧コンピュータで限界を超える潜水をしたところ、四肢のしびれを訴えたものです。私は減圧症の疑いが強いために、再圧治療ができる病院を受診するように勧め、本人は減圧症治療の基幹病院と言われている○立A病院を受診しました。しかし、再圧治療は行われず、詳細な診察をするために次回の受診を予約するように言われたそうです。

2通目は40mちかく潜った後、航空機を利用して帰りましたが、その搭乗中に左腕の重い感じが出現して来ました。ご本人から当方にメールがあり減圧症の可能性が強いと返信しましたが、症状が自然に軽くなったためにそのままにしておりました。約10日後再び潜ったところ、同じ性状で程度の強い症状が出現しメールを送って下さいましたので、再圧治療を受けるよう強く進言しました。そしてA病院を受診したのですが、減圧症であるとは断定できない、ということでそのまま帰されました。

3通目は限界を超えて潜った後、左肘の痛みと腫れが出現しましたが、抗炎症剤を塗布するなどして様子を見ておりました。約1ヶ月後、再び潜ったところ、強い左肘の痛みと腫れが出現し、ご本人が減圧症に罹患したのではないかと思い、A病院を受診しました。しかし、整形外科を受診するように言われ、整形外科で腫脹部から液体を抜き取った後、消炎剤を処方されたようです。その約2週間後、左肘の痛みが強いために当方へメールを送られました。当方で減圧症と診断して海上自衛隊潜水医学実験隊を受診するように勧めま、ただちに複数回の再圧治療を行ったところ、痛みは著明に改善しました。

もちろん私の判断が絶対的に正しいと言い張るつもりはありませんが、これら3例は常識的に見て減圧症である可能性が高いと思います。たしかに減圧症であると確診することはそれほど容易ではありませんが、減圧症の可能性が強いときは直ちに再圧治療をするのが、現在の標準的な対応ではないかと思います。減圧症の予約診療など聞いたことがありません。それらからみると、これら3例は明らかに不適切な対応で、しかもそれがDAN Japanに登録されている減圧症治療の基幹病院でなされていることに失望しました。

もっとも、これは裏を返せば、この病院以外ではそれほど問題なく対応がなされていることを示しているとも言えますので、近い将来、著明に改善されるでしょうし、そうなるよう望んでいます。

2番目として、メールの内容を重複分類したところ、減圧に関連するもの40通、耳鼻領域のもの35通、呼吸器に関するもの28通がその主なものでした。通常のレジャー潜水で問題になる体の異常の大半は耳鼻科領域のものと言われていますが、送られてきたメールから見る限り、減圧に関連するメールが最多数でした。意外な気がしましたが、減圧というものが訳の分からない不気味なものと思われているせいかもしれません。たしかに減圧に関する問題は医療関係者も含め一般にはほとんど馴染みがないものですが、必要以上に怖がる必要はないと思います。

3番目として医学的なこととは関係のないことですが、日本の若い女性の活発さが示唆されました。男女別でメール数を見ると、およそ3分の2が男性、女性が3分の1を占めています。しかし、男女別に年齢をみると、男性の場合21〜30歳台は全体の32%であるのに対し、女性では48%、およそ半分を占めていました。

その他にもありますが、詳細はいずれ別途まとめたいと考えております。メールをお送りいただいた皆様に感謝申し上げます。
2001.12.13

ドライスノーケル

例年になく早い桜も散り、潜水の季節になってまいりました。ここで、ハードウェアに関するささやかなニュースをお届けしたいと思います。

水に慣れていない方が潜水を始めるに当たって、最初に突き当たるのがスノーケル潜水。もっとも、最近ではスノーケル潜水の訓練を行うこともなく、ただちにスクーバ潜水に挑戦する勇敢な(私に言わせれば無謀な)ひとも多いようですが、やはり、スノーケル潜水はマスターしておくべきです。しかし、スノーケルから口の中に入ってくる水のために不愉快な経験をし、スノーケル潜水をやめてしまうことが少なくないようです。

そうであれば、スノーケルから水が入らないような工夫をすればよいではないか、と簡単に思われそうですが、実はこのことはかなり以前に試みられ失敗しているのです。失敗した方法は、スノーケルの開口部にピンポン玉のような構造を設け、水中ではそれが開口部にぴったりとくっつき水の進入をふせぐ、というものです。なぜ失敗したかというと、スノーケル開口部が水面上にあるときもピンポン玉が開口部にくっついた状態になって、呼吸が出来なくなってしまい死亡に至る事例がたくさん出てきたからです。このようなところから、水の進入を直接防ぐ構造を持ったスノーケルは使われなくなってしまいました。

ところが、最近(というか実は米国ではかなり前から)、水がまったく入らないスノーケルが再び使われるようになってきました。これはオーシャンマスターという会社の製品で、詳しいことはわかりませんが、水の進入を防ぐ構造の中にフラットな弁を設け、スノーケル開口部が空中に出ると、強制的に空気が通るようにしたものです。オーシャンマスター社によりますと、製品が開発されて以来過去11年間に弁が閉じるような例は皆無であったと言うことです。訴訟社会の米国でのことですから、これはかなり信頼できる情報のようです。

実は、このタイプのスノーケル(ドライスノーケルと言います)は昨年ハワイで開かれた日米天然資源会議の潜水技術部会に参加した折り、ハナウマ湾に出かけて素潜りを楽しんだ際に初めて経験して驚いたのが実状です。完全に水没状態で息を吸っても、水は一滴も入ってきません(もちろん、空気も吸えませんが)。私事になりますが、そのときはカミさんも一緒に連れていって潜りました。カミさんは水泳は得意なのですが、それでも以前にスノーケリングに挑戦したときに水が口の中に入ってくることからスノーケリングを毛嫌いして、以来潜っておりませんでした。それが今回はよほど快適だったらしく、また潜りにいこう、と乗り気になっています。

たしかに、ドライスノーケルは快適なのに間違いはないのですが、でも、一つだけ付け加えておきたいことがあります。というのは、スクーバ潜水の手始めとしてスノーケル潜水を行う理由は、あくまで水に慣れることが第一義的なものだと思うからです。そうしますと、ドライスノーケルを使用したのでは、水が口の中に入ることもないことから、スクーバ潜水でいざというときに対応できる訓練にはならないのではないか、ということです。保守的かもしれませんが、スクーバ潜水の訓練のためには、通常のタイプを使用した方が望ましいのではないかと思います。また通常のスクーバ潜水の補助用としてこれを携行して深く潜ると、水の進入を防ぐ構造物内外の圧力差が大きくなって、不具合を生じることもあるそうです。

しかし、浅いところでスノーケリングを楽しむには、ドライスノーケルはたいへん優れているように思います。もし皆様方もご使用になられて、ご感想がございましたら、是非教えて下さい。
ドライスノーケルに関して、スキンダイビングページのTodo氏から有用な情報をいただきました。
2002.3.27