島というと、僻地のイメージを持たれる人もいるかも知れない。でも、意外に、と言っては失礼だけど、モダン。例えば、ちょっと晴れがましい旦那さま方の会によく奥様同伴で出かけられる。こんなこと、都会でも未だなかなか。奥様方のいい顔!
奥様方と言えば、女性の力も強い。この前亡くなられた青木病院理事長の青木豊子さんなどが中心になってどんどん活動しており、ソロプチミストの会も盛んだ。
その他にも、例えば芸事が盛ん。様々な芸事があって、しかも手頃な発表の場があることが嬉しい。ほとんど無料で手軽に披露できる。これは都会ではまねできない。意外な人が意外な特技を持っていて驚く。単身赴任の自衛官や奥様方もこの間に、ちぎり絵や油絵、あるいは書道やお茶に謡曲・吟詠などの新しい趣味を見つけたりして。
こんなこと言っていると余暇のことばかりじゃないかと言われそうなので、別のことを一つ。最近でこそ、高齢者医療の問題がクローズアップされているけれど、江田島に公的老人訪問看護ステーションが開設されたのは平成7年1995年4月のことで、実に4年近く前。町や医師会のご尽力でとても速やかに実現の運びとなった。全国的に見ても一番早かった方だと思う。
勉強会。中央、手を机においているのが篠田先生 みんなで持ち寄って発表会(中央公民館)
メジャーじゃないポイントを偏見いっぱいに記しておこう。
まず御殿山。先の高松記念館の上にある小高いみかん山。おそらく、高松記念館の上にあるのでそう呼ばれるのだろう。故老の話では、昔はその上を通るときはお辞儀をしたという。ここからの眺めは絶景。自衛隊基地を見下ろす観光写真の多くは別の角度からのもので、この角度のものはほとんどない。基地の向こう側、江田内の奥、江田島と能美島がつながっているところが飛渡瀬(ひとのせ)。江戸時代には二つの島は切れていて、引き潮のときに渡ることができたことからこういう。江田内の奥が埋め立てられば、景色も変わるかも。御殿山は私有地だと思われるので、くれぐれも中を荒らさないように。 御殿山から飛渡瀬を望む
海岸沿いのドライブもいいけれど、散歩道は島の中腹を縫う横環道。二つあっていずれもいい。一つは町の中央の山の手から先に触れた飛渡瀬に向かうもの。もう一つは津久茂の品覚寺へ登る途中から津久茂の瀬戸の方に向かう。手頃な道幅で車も少なく、眺望もいい。
海の料理は大柿町の早瀬大橋の向こう側のマリンピア王泊。簡単な造りの宿で、素朴な料理だけれど、何たってその雰囲気。暗くなって引き上げるときは、車まで懐中電灯が要ることがある。吉井勇じゃないけれど、枕の下を波の音がする。
ちょっと足を伸ばせば、素敵な海水浴場が至るところにある。早瀬大橋を渡った倉橋島の桂浜は万葉の名勝で有名。右は、国道から崖を降りていった名無しの権兵衛浜。このように誰もいない海でのんびり浮かぶ。
桂浜 人のいない海で遊ぶ
海上自衛隊にいると海軍に居たというだけで特別に親しくして下さる方がいる。沖美町の梶川医院の梶川進院長もそういうお一人。初めての出会いで大きい声に圧倒され、戦艦陸奥爆沈の2週間前に陸奥をおり、それからイ号第37潜水艦の軍医長として従軍された経歴をうかがい、以来、頭が上がらない。警務分遣隊長(昔で言う憲兵隊長だ)の熊倉さんとともにお邪魔し、若いドクターに訓育(!?)していただく。その折りの居間から眺めた夕日の美しかったこと。昔島で一番だったモダンボーイの面影は残り、こちらよりもずっと先にインターネットをやっておられた。エネルギーを持て余しておられるようだから、ここからメールを差し上げていただけんかな?
篠田茂先生(号は古鶻)を初めてお見かけしたのは、江田島町戦没者慰霊祭のおり。最敬礼!という号令と共に奉納吟をされた。最敬礼という号令があったのはかすかに聞いてはいたけど、目の当たりにしたのは初めて(で最後?)。というと、コチコチのように聞こえるけれど、至って気さくで面白い。江戸っ子のくせに江田島に痛く入れ込んで、江田島の漢詩をたくさん作っておられる。私の師匠なので先生と言ったわけで、お医者さんではない。兵学校卒の元海軍パイロット。残念ながら平成9年逝去された。お嬢様が父上の詩のホームページを開いておられるので、乞御高覧。
もぐりのドクターとは海上自衛隊で潜水に関連した医学をやっているもの。「もぐりのドクター」などというと眉をひそめる堅物もいるけれど、まあいいじゃないか。最近はもぐりのもぐりのドクターも出現してきて訳がわからなくなってきている。こちらはもぐりが一つだけつくドクターのつもり。だから、言わんこっちゃない、臨床の腕はさっぱり。自衛官としてもにせものくさい。
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